光瀬龍著『たそがれに還る』ハルキ文庫、1998(1964)
−−−−『喪われた都市の記録』ハルキ文庫、1998(?)
傑作『百億の昼と千億の夜』と3部作をなすとも言える2作品が久々に重版となった。必ず手に入れましょう。とりあえず、日本の1960年代のSFにもこんなに物凄いものがあった、ということを確認しておきたい。なお、『喪われた…』の方は手持ちの1980年発行の角川文庫版に初出年が出ていないということを書き加えておく。ご存じの方はご一報下さい。(1998/12/05)

Gustave Flaubert著 山田ともこ(木+爵の下の部分。欝に似てるんだけどJISコードには無いみたい。)訳『紋切型辞典』平凡社ライブラリー、1998.11(1880年の遺稿)

余りにも有名な作品なんで説明はいらないでしょう。岩波文庫版『ブヴァールとペキュシェ』に入っていなかったので、文庫化は本邦初だと思う。まあ、全集を持っている方には必要ないかも知れませんが。ご参考までに。(1998/12/08)

桐野夏生著『顔に降りかかる雨』講談社文庫、1996.07(1993)

それなりキャリアは長い桐野夏生の第39回江戸川乱歩賞受賞作で、ある意味、第2のデビュウ作とも言いうる作品。新宿に住む私立探偵・村野ミロを主人公とするシリーズの発端となった作品となる。ミロの親友・宇佐川耀子が一億円を持って失踪、金を預けた成瀬時男はミロとともに宇佐川を探し始めるが、やがて物語は意外な方向へと進んでいく。そんなお話。すぐれたハード・ボイルド作品にして、ミロ・シリーズの開幕篇となる極めて重要な作品である。 (1998/12/09)

桐野夏生著『天使に見捨てられた夜』講談社文庫、1997.06(1994)

ミロ・シリーズの第2弾。今回も失踪した女性の捜索話。探偵となったミロの元に、失踪したAV女優・一色リナの捜索依頼が舞い込む。依頼者はフェミニズム系出版社の経営者である渡辺房江。捜索が進むにつれ、リナの暗い過去が明らかになっていくが…、というお話。1990年代に入って和製ハードボイルドの傑作が次々に生まれているが、このシリーズもその一つと見なせるだろう。(1998/12/10)

Larry Niven & Jerry Pournelle著 酒井昭伸訳『神の目の凱歌』創元SF文庫、1998(1993)

『神の目の小さな塵』(1978(1974))の続編である。こうなるとほとんどノスタルジアの世界。私は同書を20年前の刊行時にむさぼるように読んだことを生々しく記憶している。しかし、さすがに登場人物の名前なんかは見事に忘れてしまっていた。「クレイジー・エディ」以外は。さて、此の続編だが、正直言って余り面白くなかった。どんでん返しも、新しいアイディアも特に提示されていないからね。ただ、冷戦・湾岸戦争後に書かれたという事情もあるのだと思うのだが、「イスラム」や「アラブ」に対する視線の暖かさが印象的であった。「今日のオリエンタリズム」みたいなものに興味のある方はさっと目を通すのもいいかも知れないと思う。(1998/12/15)

城平京(しろだいら・きょう)著『名探偵に薔薇を』創元推理文庫、1998.7

1974年生まれの作家による、第八回鮎川哲也賞の最終候補作だった作品。『メルヘン小人地獄』という童話になぞらえたかのような殺人事件と、名探偵・瀬川みゆきによるその解決を描く第一部「メルヘン小人地獄」と、後日談である驚くべき物語の第二部「毒杯パズル」からなる連作長編。奇想とロジックを存分に堪能できる、ある意味由緒正しい、と言って良いかも知れない本格ミステリ作品で、作者のこれから書いていくものが非常に楽しみなところである。(1998/12/20)

馳星周著『不夜城』角川文庫、1998.4(1996)

言わずと知れた大ベストセラー。ちと長いけれど、確かに良く出来た作品である。長旅にはもってこいですね。どうも主人公のイメージとして同映画に抜擢された金城武を想定しつつ読んでしまうのだけれど、実際にはもう少し年長という設定になっている。亡くなる前の松田優作辺りの方が適役だったかも知れないけれど、それは無理な相談ですな。しかし、ここまでディテイルを書き込める作家が増えているのは、やはりワープロ等の普及によるものなのだろうと、改めて思うのであった。(1998/12/22)

Samuel R. Delany著 伊藤典夫訳『アインシュタイン交点』ハヤカワ文庫、1996.6(1967)

調査帰りに高崎の駅で購入。こんなものが訳されていたとは。たまには本屋さんにも行ってみるものですね。冒頭からいきなりJ.ジョイスの引用。しかもわざと綴りを変えているらしい。中身はオルフェウス、イエス、ビリー・ザ・キッドという「神話」的人物をモチーフとした未来の物語なのだけれど、どうやらこれを執筆している作者のノートのようなものがテクストに混ぜ込まれていて、訳者あとがきにもある如く一種のメタノベルともなっている。J.バースのような雰囲気を多分にもった、必ずしもSFというわけにはいかない小説である。しかし、訳者あとがきに記載されたDelanyの出自を知らないで『ノヴァ』だの『バベル17』などを読まされてきた私の受けたショックは並大抵のものではない。案外、ポストコロニアルリーディングやクィアリーディングが可能なのではないかなどと考えさせられた。ただ、再読したいが暇がない。ついでに言えば未訳のものも読みたくなってしまった次第である。でも、時間がないよ。誰か訳して下さいな。(1998/12/22)

中沢新一著『リアルであること』幻冬社文庫、1997.4(1994)

古本屋で130円で入手。各テクストに関し初出誌が出ていないので、書き下ろしだと解釈する。中沢の言う「リアル」なものというのは結局のところI.カントのいう「もの自体」とどこが違うのかがよく分からない。私は基本的にこういう「ポップ哲学」は嫌いだ。正直申して、「だから何ナノさ」、といいたくなる本である。(1998/12/22)

宮田登著『「心なおし」はなぜ流行る−不安と幻想の民俗誌−』小学館ライブラリー、1997.2(1993)

タイトルと中身が一致していない。強いて言うなら、副題の方が内容をよりよく表象している。都市民俗論として読んだけれど、全体に記述がバラバラな感じで、何が言いたいのか良く分からなかった。『終末観の民俗学』もどこかから文庫で出たように思うのだが、あれも何が言いたいのか全く分からない書物であった。少しは改訂されたのだろうか。(1998/12/22)

Ursula K. Le Guin著 小尾芙佐・佐藤高子訳『内海の漁師』ハヤカワ文庫、1997.4(1994)

尊敬してやまないSF作家・Le Guinの最新短編集である。ほとんどの作品が1990年代に発表されたものとなっている。「はじめに」におけるSF論が面白かった。しかし、初期の作品に比べると、やはりパワーは落ちているように思う。父母から引き継いだ人類学の素養はあくまでも健在で、個人的にはそういう部分のディテイルを楽しんでしまった。(1998/12/22)

岡田斗司夫著『ぼくたちの洗脳社会』朝日文庫、1998.10(1995.12)

「洗脳」がキータームだった年に出た本だから、こうなったのかな、と勘ぐってしまう。岡田は全てのコミュニケーションは「洗脳」なのだ、といいながら、「言語国家」のもつ権力構造みたいなものを語る訳ではなく、妙に楽観的な「未来」を提示してしまうのだけれど、これでいいのだろうか?対話なりなんなりの相互行為によって社会が構成されていく、みたいな議論が社会学では行われているけれど、そこでは、そうしたことによって増長されていく権力構造もきちんと考慮されている。余りの悲観論も詰まらないかも知れないけれど、本書の余りの楽観論はもっと詰まらないものに見えた。バランスよく書かれたもの、というのもまた、面白くないのも事実ではあるのだけれど。それはそうとして、私はこういう大風呂敷な文明論みたいなのは大嫌いなので、本書についても全く評価しない。「こりゃ百害あって一利なしだな」、という感じを受けて読了した。以上。(1998/12/22)

E.Swedenborg著 高橋和夫訳『霊界日記』角川文庫、1998.6(1747-65の日記)

べらぼうに長いあの『霊界日記』のほんの一部を訳出したもの。シャマニズム研究をしている私にとってはなかなか興味深い部分が多い。ヴィジョン・クエスト的なところだの、ニアデス体験についての記述だの、最近の宗教とその周辺の文化現象に与えた影響の深さは計り知れないものがある。全部を読んでいる暇はないので、丁度いい刊行であった。ありがたや、ありがたや…(1998/12/22)

村上龍著『イン ザ・ミソスープ』幻灯舎文庫、1998.8(1997.10)

一昨年に出た話題作。昨夏には早くも文庫化され、私はそれを古本屋で発見した。物凄いピッチで世の中が動いているんだな、と、実感させられる。ご存じかとは思うが、歌舞伎町を舞台としたかなり残虐な連続殺人を扱っている本作品は、1997年の初夏、神戸の連続殺人事件が発生しているさなかに読売新聞紙上に連載されていて、両者の対応関係には様々な見解が示されたりしていたみたいだけれど、作者は本書自体、特に終わりの辺り及び短いあとがきにおいて、それこそリアルタイムに、何とか解答を導き出そうとしているようにも思われた。つまりは、作者自身が、何でこうなってしまったのか(要は、本書でも触れられている、「日本国は世界有数の金持ち国であるにも関わらず、何で女子高生が売春行為をするようになってしまったのか?」のような疑問に集約される。)あれこれ逡巡していて、そうしながら最終的には結論を先延ばしにした感じがあるのは確かだけれど、私個人には村上龍という作家の苦闘の記録としても読めてしまった、ということである。90頁辺りから、「まるで世の中のことで知らないことは何もない」とでもいわんばかりの評論家・社会学者(どう見たって宮台だよ。)をこき下ろしているけれど、分からないことは分からないとはっきり言う、そしてそれでもなお考えなければならないことは考え続けたい、という村上の姿勢には好感が持てる。今後の作品にも大いに期待したいと思う。(1999/02/12)

山折哲雄著『霊と肉』講談社学術文庫、1998.12(1979)

最近はロクなものを書いていない山折哲雄の最盛期の論考・エッセイをまとめた旧著の文庫化である。1970年代の吹き荒れる神秘主義の復権を含むカウンター・カルチャーの流れをもろに受けているな、という印象が強いのだけれど、それはそれとして、極めて広角な視野から繰り広げられる本書の宗教論は、誠に学ぶべき部分が多いと思う。ただ、V「地獄」はオマケ的な感じで、やや拍子抜けさせられてしまったけれど…。(1999/02/24)