Alden T. Vaughan&Virginia Mason Vaughan著 本橋哲也訳『キャリバンの文化史』青土社、1999.02(1991)
本書は、Vaughan夫妻による著名な書物Shakespeare's Calibans : A Cultural History(Cambridge University Press, 1991)の全訳である(Calibansが複数形になっていることに注意されたい。日本語では、これがうまく表現できない。)。
「キャリバン」とは言わずと知れたW.Shakespeareの戯曲Tempestのサブ・キャラクタ。原典では錬金術師・魔法使いの主人公である「プロスペロー」の下僕として描かれるこのキャラクタなのだが、Shakespeareによるオリジナル・テクスト上の人物造形が極めて曖昧かつ両義的であり、更にはグローブ座において当初行なわれていたキャリバンの意匠に関するデータがほとんど欠落しているために、このキャラクタの出自や作中に登場させた意図、更にはその歴史的・社会的意味を巡って様々な議論その他がなされてきた訳である。
さて、本書は、「キャリバンとは何か?」を問うのではなく、徹底してShakespeareによるこのキャラクタの創造以降になされてきた上記のような議論、そして上演や美術作品に表われた意匠を時系列的かつそれこそ網羅的に取り上げ、整理を試みたものである。その博覧強記ぶりには頭が下がると同時に、大体のところは知識として持っていたことではあるけれど、要するに「キャリバン」が当初は西欧(特に英国)から見た他者としてイメージされたにも関わらず、20世紀後半には西欧にとっての他者、特にカリブ海界隈の旧植民地を含む「西欧により抑圧された者」の表象として、極めて政治的な意味を付与されていくことになるという、誠に奇妙かつ興味深いプロセスを、より高い精度で理解するには格好の書物であると考える。
そのような訳で、本書はただ単にShakespeare研究者にとどまらず、訳者の本橋哲也も述べているように、「表象文化論」あるいは「ポストコロニアル批評」等々に関心のある方々にとっても必読書なのではないかと思う。以上。(2002/02/04)