ところで、タイトルから分かる通り、本作品はF.Felliniの傑作、8・1/2(表記不能だ、何とかしてくれ。ちなみに、イタリア語ではotto e mezzoと読む。)パロディを意図したものなのだろうけれど、はっきり言って全くパロディになっていないし、更に言えば冒涜である。私はFelliniを神聖視する訳ではないし、特にそうするべきだとも感じていないのだが、 今日存在する、Greenawayも含めた数多の作家性の強い映画監督群の、偉大なる先駆者なのは間違いない。映画に携わる全ての人間は(評論を行なう者も含めて、ということです。)、この暴挙を決して許してはならないと思う。
打ち込んでいてイヤになってきたので、そろそろ止めよう。
唯一興味深かったのは、本作品では性行為についての言及はさんざんなされるのだが、実際の性行為は描かれない、という点。性についての言説の氾濫については、既に多くの分析がある訳だけれど(所謂セクシュアリティに関する一連の議論です。別に、誰が始めたものだ、などということは述べません。)、この監督がそれらを意識しているのかどうかは、分からない。誠に愚劣極まりない本作品を観る限りにおいて、同監督がそこまで知的な人間とは、最早考えがたいからである。(2000/12/16)