浦沢直樹著『MONSTER 全18巻』小学館、1995.06-2002.04
1995年から2002年頭あたりにかけて小学館刊『ビックコミック・オリジナル』に連載され、1998年に第1回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、翌1999年には第3回手塚治虫文化賞マンガ大賞、2001年に第46回小学館漫画賞を受賞した、恐らく誰でも知っているコミック。作者は現在これまた「とんでもない」作品になっている『20世紀少年 ―本格科学冒険漫画』を『ビッグコミック・スピリッツ』に連載しているあの浦沢直樹。単行本版の完結1年以上を経て、この度ようやく読了。取り敢えず、感無量となった次第。
タイトルには定冠詞がいるような気がする、なんていうのは野暮かも知れないが、一応その点を断りつつ、内容紹介へ。東西統一前の西ドイツはデュッセルドルフのとある病院に勤務していた天才脳外科医・天馬賢三は、頭を撃たれ運び込まれてきた少年ヨハンの命をその見事な外科手術遂行能力によって救う。しかし、これが全ての災いの始まり。すなわち、事件から9年後、失踪していたヨハンが再び天馬のそばに現われ、彼の周りの人々が次々と死んでいき、更にまずいことにはそれらの事件への関与が疑われた天馬は、警察に追われる羽目に。こうして天馬の、警察その他からの逃亡とヨハンの正体を突き止めるための冒険が開始される。その顛末や如何に…。
「モグリの医者」として逃亡と追跡の費用その他を稼ぎ出すことを余儀なくされる天才脳外科医・天馬のモデルは、勿論手塚治虫が創り出した不滅のあのキャラクタ。また、東欧のある国においてナチス・ドイツやその他の影を引きずる優生学的な実験から、どうやら将来は政治的指導者として仰ぎ見られる存在になるべく秘密裏に生みだされたヨハンが、周囲を闘争・殺戮・暴力の連鎖に巻き込まずにはおかない、意図的トラブル・メイキング能力というか何というか、言葉ではどうにもうまく表現できない特殊な「能力」を持つという設定には、これまた手塚治虫が劇画化したあの独裁者のイメージが投影されているのは誰しもが気づくところ。まあ、私がここでどうこういうまでもなく、事実は手塚治虫文化賞を受賞した際に本人が語った通りなのであり、本作は端的に手塚治虫という偉大なる劇画作家へのオマージュとなっているのである。
極めて良く練り上げられた誠に壮大な構想、複雑なプロットをきちりきちりと整理しつつ緩急を付けて提示し読む者を思わず引き込まずにはおかないストーリー・テリングの見事さ、末端の登場人物にまで神経の行き届いた細かな人物造形、銃器その他の描写における見る人が見れば分かるディテールへのこだわり等々、20世紀後半に日本その他の国と地域において成熟したコミックという「新しい」表現形式の、一つの到達点と見なせるほどの内容と質を持つ作品であると思う。まあ、あくまでもごくごく個人的には、作者が徹底的なまでに人道主義の立場を貫き、また善・悪という基本的に相対的な概念をかなり明確に二分化してしまっているのがやや物足りない点ではあったのだけれど(ついでに言うと、物語の真ん中あたりではヨハンの持つ二重人格的要素を表現する描写があるのだが、だんだんそのことは薄められていってしまう。この辺はもう少し詰めて欲しかったところ。)、それは兎も角として、浦沢直樹という、ある意味現実世界における「怪物」的存在とも言い得る漫画作家が作り出した、虚構上の「怪物」の物語を、未読の方は是非とも堪能していただきたい。以上。(2003/05/27)