No Boundaries/A Benefit For The Kosovar Refugees
コソヴォ難民救済のためのベネフィット・アルバム。収益はCARE(Cooperative for Assistance and Relief Everywhere)、OXFAM(Oxford Famine Relief)、Doctor Without Bordersという3団体に寄付されるとのこと。少額ながら大いに活用して下さいまし。参加アーティストはそれはそれは大変なもので、Pearl Jam、Alanis Morissette、Neil Young、Black Sabbath、Ben Folds FiveOasis、Sarah McLachlan、Jamiroquai、Tori Amos、Peter Gabriel等々、この欄でもおなじみの人々。それだけ、英語圏の人々にとって、コソヴォ問題というのは重大だったということになるだろうか。ちなみに、新聞では「コソボ」と書かれているけれど、綴りはKosovoなので、「コソヴォ」とするべきでしょう。国語審議会だかなんかでそうすることに決めたはずなんだから、ちゃんと守って欲しいものだ。これは日本人名のローマ字表記についても言えることで、「日本民族学会」の英文誌ですら名・姓の順にしているけれど、姓・名の順にする、というお達しが文部省辺りから出されて久しいことを、皆さんは知らないんだろうか。そう考えると、「君が代」、「日の丸」を法制化したところで、誰も関知しない、なんてことも起きかねない訳です。ただ、こっちはどういう訳か本気でやりたがっているみたいだから、周知徹底されることになるのかも知れない。個人的には「No Boundaries(=国境なき世界)」が理想なのだと思うけれど、今世紀末の世界同時的な19世紀ヨーロッパの発明品に過ぎない「ナショナリズム」の再台頭は、ついに日本国にも及んできた、ということなのかも知れない。あー、やだ。20世紀も終わりそうだというこの期に及んで、一体何をやっているんでしょう。人類は早く次の段階に移らないといけないように思うんだけどな。御手洗潔の云う通り「ナショナリズム」なんて異星の知的生物とファースト・コンタクトするまでの「ハシカ」に過ぎないように思う。まあ、実際に異性の知的生物と遭遇する必要なんかなくて、全ての人が、ほんのちょっと想像力を働かしてくれさえすれば全てが一瞬にして解決してしまう可能性だってある。「境界」とは、常に想像された外部との間に設けられるのだから。(1999/06/30。07/07に少し改稿。)