ロジャー・ウォルシュ著 安藤治・高岡よし子訳『シャーマニズムの精神人類学−癒しと超越のテクノロジー−』春秋社、1996.10(1990)
原題はThe spirit of shamanism。これに『シャーマニズムの精神人類学』という邦題が付けられた理由については訳者あとがきに、「著者が、精神医学、心理学、人類学などきわめて広い学識によって、シャーマニズムにアプローチしていることを表現するために選んだもの」、と述べられているのだけれど、私に言わせればこの著者は確かに何人かの人類学者の手による著述は読んでいるものの、その「学識」は恐ろしく貧しいもので、単に資料として用いている他に例えば、「人類学的観点から見たシャーマニズム」のようなものは全くと言っていいほど姿を現さない。どうやらこの著者、トランスパーソナル心理学を主な活躍の場としているようだが、だからといってそうした観点からの分析なり議論が緻密かつ斬新なものかというと全くそうではなく、ほぼ全編にわたり一般論に終始してしまっている観がある。著者が行うべきなのはこうした形でシャーマン一般についての話をだらだらと続けることではなく、具体的な誰それというシャーマンが行っている病気直しなりなんなりをきちんと記述しつつ、臨床的なデータやシャーマン及びクライアントからの聞き取りレヴェルのデータを色々に付き合わせて、シャーマニズムと精神医学の関係性、すなわちその類似点と相違点、あるいは前者が後者に与えうる寄与などを明らかにすることなのではないかと思う。本書を一読した限りでは、この著者、文献を引くばかりで自分では何もしていないようなのだ。M.エリアーデ位大量の文献を渉猟したのだったら文句はないのだけれど(でも、エリアーデも実のところ方々歩いているんだよな。)、余りに貧弱な文献リストには恐れ入ってしまう。文献の引き方にも問題があって、やたらと孫引きが目立つのだがこれは許すとしよう。笑えるのは第21章、第22章辺りで、例えば「地球全体まで含めたあらゆる生命の相互的なつながりと依存関係を強調するシャーマニズムの世界観」(p.334)だの、「シャーマニズムほど明白に、自然やエコロジーを指向している伝統は少ない」(p.341)というような箇所には爆笑を禁じ得なかった。気持ちは分かるけれど、どう考えても勇み足である。ネオ・シャーマニズムを名乗る一派の人達はこういうことを考えているかも知れないけどね。M.ハーナーが随分頻繁に引用されていたけれど、この著者の頭の中ではネオ・シャーマニズムと、それがつくられる元になった「伝統的」なシャーマニズムが一部ではなくかなりの部分で混同をきたしているのではないかなどと考えてしまった。(1998/09/07)