皆川博子著『死の泉』早川書房、1997.10
大ベストセラーである。随分評判がいいようで、何とか賞をとったり、『週刊文春』による「傑作ミステリー国内部門1997年度第1位」になってしまったみたいだけれど、それほどの作品かな、という印象である。そもそも、もしこの作品が「ミステリー」だとすると、「ミステリー」という語が指し示す範囲は途轍もなく拡がってしまっている事になるように思う。全体の図式はUmberto EcoのIl Nome della Rosaからの借り物なのだが、巻末の参考・引用文献には挙げられていない。その代わりに冗談かも知れないのだがM.Hiller&C.HenryのAu Nom de la Raceという邦題不明(鈴木豊訳とある。)の本が挙げられているけれど、この本、本当に存在するんだろうか?それはともかくとして、U.エーコの『薔薇の名前』を「ミステリー」と呼ぶことには全く違和感はないのだが、これはどうか?謎らしい謎もなく、それ故に何らかの謎が解き明かされるというようなこともないのだ。本筋から離れたところでは「人の入れ替えトリック」みたいなことが使われていて、一応のどんでん返しらしきものがあるにはあるのだけれど、「だから何なの?」という印象を受けてしまった。もっととんでもないどんでん返しを期待していたのだが…。
まあ、「ミステリー」云々はともかくとして、もう一つ、この作品が何とか文学賞をとるほどの作品なのかどうかという点を考えなければならない。前半部は「優生学」やそれと深く関わる「人種問題」や「女性差別」が最重要なテーマとして、恐らくはそれなりに深い考証を重ねた上で書かれているのにも関わらず、結局は後半部を何だか陳腐なサスペンス小説にしてしまい、前半で取り上げた重大なテーマについての考察なり思索なりを深めることなく済ましてしまっている。結局のところ、この作品の欠点は「中途半端さ」なのだと思う。謎が謎を呼び、めくるめくスペクタクルを提示してみせるようなエンターテイメント小説を目指そうという意図は感じられなくもないのだが、扱ったテーマが重すぎたためにエンターテイメントに徹することに躊躇したせいなのかも知れないが、余りにも物語としての出来が良くない。さりとて、深遠なテーマを掲げた割にはメタ・フィクショナルな図式を用いることでそうしたテーマが相対化されてしまっているし、繰り返しになるけれど、後半部でそうしたテーマを捨象してしまってことが災いしてか、上記のテーマ群に関する思索は同様のテーマを扱った他の「文芸」作品と比較しても深めるべきところまで深められたとは思えないことから、「文芸」作品とも言い難い。個人的には、前半部のスタイルで押し切った方が良かったのではないか、と思う次第である。何なら、前半部で終わりにしてしまっても良かったのではないかとすら思う。
という訳で、ボロクソにけなしてしまったけれども、本書を購入したのは私ではなく、自腹を切らないで済んだのは誠に不幸中の幸いであった。何しろ税別で2,000円もするんだからね。自腹を切っていたらもっとボロクソにけなす羽目になったかも知れないし、そもそもこの欄に取り上げたかどうかも分からない。そんなところで。次回作に期待したい。(1998/05/06)