東野圭吾著『使命と魂のリミット』角川文庫、2010.02(2006)

超売れっ子作家である東野圭吾が2006年に直木賞受賞と前後して書き上げた長編の文庫版である。
舞台は東野作品ではおなじみの帝都大学病院。心臓血管外科で研修医をしているという設定の氷室夕紀が主人公。彼女がここで研修をしているのには目的があった。というのも、心臓を患っていた彼女の父は、同科につとめる名医・西園陽平による手術が失敗して死亡していた。母と西園との関係が疑われる中、夕紀は二人が結託して父を葬り去ったのではないか、という疑いを胸に生きてきたのだった。慌ただしく過ぎる外科の日々。真実を見極めようとする夕紀。そんなさなか、病院に対して何者かが脅迫を始める。事態は混沌とし、やがて人々はそれぞれ重大な決断を迫られることになるのだった、というお話。
病院もの、と言えば今日では海堂尊(かいどう・たける)が書いているものが圧倒的な支持を受けているのは周知の通り。本書は、現役医師からみれば突っ込みどころは多いのかも知れないが素人目にはそれに近いように感じられるディテイルと、元デンソー社員であるが故のちょっとやり過ぎ感も漂うほどにエレクトリカルな知識をまんべんなく振り混ぜた、更にはヒューマニズム溢れる好著となっていると思う。中盤で後半の展開、あるいは結末が大体読めてしまう難点はあるものの、東野にしか書けない密度を持った作品となっているのは紛れもない事実である。以上。(2010/09/03)

舞城王太郎著『NECK』講談社文庫、2010.07

このところ刊行ラッシュが続いている舞城王太郎による、舞台、映画などとのメディア・ミックスが展開された作品。構成がちょっと複雑なので説明を。
本書は4つのパートからなる。全てが「NECK」という作品なのだが、それぞれ、a story、the original、the second、the thirdという識別コードないしはナンバリングが付いている。
最初のa storyは書き下ろしの中編小説。首の骨が一本多い少女・粟寺百花を主人公とする、西暁町も主要な舞台となるミステリ。次のthe originalは舞台用に最初に書かれた脚本と絵コンテ。2010年2月に青山円形劇場で上演されたとのこと。内容はギャグっぽいテイストのスプラッタ・ホラー。
the secondは『エソラ』2008年11月号に掲載された短編小説に、イラストを追加したもの。これも基本的にスプラッタ・ホラー。最後のthe thirdは2010年8月公開の映画『NECK ネック』の脚本原案。終盤メタな展開をみせるサイコ・ホラーとなっている。
こんな感じなので、ある意味雑誌的、な書物である。4つの物語についてインターテクスチュアルな読みを試みても良いだろうし、西暁サーガや越前魔太郎もののような本書の前提となっている、あるいはからはみ出したものを拾い集めても良いだろうし、個々の作品をそれぞれ楽しんでも良いだろうと思う。極めて多様な読み方が可能な、相当ヘンテコな本である。以上。(2010/09/04)

桜庭一樹著『GOSICKs ―ゴシックエス・春来たる死神―』角川文庫、2010.03(2005)

人気シリーズの外伝的短編集の角川文庫版である。一編ずつが一応独立した短編集とは言え、基本的に相互に連続性を持ち、全体を通底して流れるテーマ、モティーフみたいなものが存在する、連作短編集、と言った方が良いものとなっている。
描かれているのは本編という位置づけであるのだろう長編に書かれていない久城一弥とヴィクトリカ・ド・ブロワの運命的出会いの詳細、納骨堂で発見された8年前に死んだものと思われる屍蝋の謎、それと関わる8年前に病死した少女の謎、あるいは大泥棒クィアランが残した盗品群を巡る謎、などなどである。
整然としたミステリ様式に、ゴス要素+ツンデレ要素が絶妙にミックスされた傑作シリーズ中の、長編とはちょっと違ったテイストが味わえる秀逸な作品集、と評しておきたい。以上。(2010/09/05)

J.C.F.ヘルダーリン著 青木誠之訳『ヒュペーリオン ギリシャの隠者』ちくま文庫、2010.07(1797-1799)

ドイツの詩人J.C.F.ヘルダーリン(Johann Christian Friedrich Hölderlin)が20代の後半に書いた著名な小説の、ヘルダーリン研究者として著名な青木誠之による新訳である。単行本の形はとらず、文庫オリジナル、となる。
物語は、ギリシアの青年ヒュペーリオンがドイツにいる友人ベラルミンに宛てた書簡、という体裁をとる。時は18世紀末期。ギリシアの古代思想を信奉してやまないヒュペーリオンは、オスマン・トルコ支配下にある祖国の窮状を嘆く。そんな彼の前に現れたのは古代ギリシア的美の体現とも言える女性ディオティーマ。彼女と恋に落ちたヒュペーリオンは、やがてギリシア解放戦争に身を投じるが負傷のため帰郷する。そんな彼を待っていたのは、ディオティーマの死であった、というお話。
上記はあくまでもあらすじ。このような作品において大事なのはあらすじではなく、その紡がれ方であり、さらに、本書において最も重要なのは、そこに一貫して流れる、ギリシア的価値観へのあこがれと、それとは対極にあるものとして描かれる当時のドイツの思想的状況への批判的態度、ということになるだろう。
まさにロマンティックな小説、であり、確かにロマンティックな恋が描かれている小説ではあるのだけれど、その実、思想的には相当ラディカルな作品になっているところが、非常に興味深い。ロマン主義というのは、もともとかようにラディカルだったのか、と今更ながら気づいた次第である。以上。(2010/09/06)

誉田哲也著『国境事変』中公文庫、2010.06(2007)

誉田哲也によるスケールの大きな警察小説である。主役は「ジウ」三部作にも登場していた東弘樹(あずま・ひろき)警部補。なので、一応スピンオフ、という位置づけの作品となっている。
舞台は東京と対馬。新宿で起きた在日朝鮮人会社経営者殺害事件の捜査を進める中、東は経営者の周辺にうごめく不審な人脈の存在に気づく。経営者は何故殺されねばならなかったのか、一体彼の周辺では何が起きているのか、はたまた起きようとしているのか。警察と公安という水と油のような関係のある両組織の狭間で、東は何を見いだすことになるのか。混迷を極める物語は、やがて東京から、日韓の国境にある島、対馬へとステージを移すのだった、というお話。
そこまで幾つかの女性警官ものを書いてきた誉田哲也が、間違いなく意図的にほとんど男しか登場しない作品を書いてしまった、というところがまず重要なのだと思う。そうなのだ、この本、徹頭徹尾、隅から隅まで、男、男、男である。ある意味、北野武の美意識に近いかも知れない。そういうことも大事なのだが、公安、という私も、というか誰もその実態をはっきりとは知らないはずの組織を、あくまでもそこで働く男達の視点で切り取った、というのが画期的なのだと思う。公安を扱った作品群の中でも、長く語り継がれるような作品になっていると思う。
まあ、一応そういう作品ではあるのだけれど、色々な陣営の思惑が入れ乱れ過ぎていて、やや話が複雑で分かりにくいきらいもある。黒幕とおぼしき人物のモノローグがヒントになっているのだが、これがあってもやや混乱を来してしまった次第。以上。(2010/09/13)

佐藤亜紀著『鏡の影』講談社文庫、2009.09(1993→2000→2003)

1991年デビュウの佐藤亜紀が、『戦争の法』に続いて発表した長編。オリジナルは新潮社より、その後2000年にはビレッジセンター出版局から、また2003年にはブッキング社から再刊されていたものの文庫化である。新潮版の絶版にあたっては平野啓一郎の芥川賞受賞作『日蝕』との関係が取りざたされたりもしたが、個人的には詰まらないことだと思う。
時は宗教改革が始まったと思われる中世末期、場所はドイツあたり。疫病と異端審問、あるいは農民騒動が吹き荒れるこの時期に農民の小倅(こせがれ)としてこの世に生を受けた主人公ヨハネスは、「全世界を変えるにはある一点を変えるだけで充分である」ことに気づき、その一点を見極めるべく旅に出る。
悪魔とおぼしき美少年シュピーゲルグランツとの出会いと奇妙な契約、はたまた薄幸な騎士フィヒテンガウアーとその美貌の妹ベアトリクスらとの邂逅とその領地からの逃亡、終末論を説くドメニコ会士マールテンや異端者グァネリウス達が織りなす宗教論争への参入等々、めまぐるしく変化する状況の中で、ヨハネスは何を得、何を失うのか、そしてまた何を見いだすのか、という物語。
この作家による初期の代表作、ということになるだろう。その博覧強記っぷりと情報量の膨大さ、テーマ設定の斬新さ、際だつ語り口あるいは文体、今日においては普通にキャラクタ小説としても読めるエンターテインメント性等々、小説としてあるべきものを数多く兼ね備えた見事な作品だと思う。こういうものがあったからこそ、たとえば8年後に古川日出男により『アラビアの夜の種族』のような、この作品同様時代を超えて読み継がれるべきものが書かれることになる、というのが1990年代-2000年代における日本文学の流れ、と今なら概観出来てしまう。まあ、あくまでもごく個人的な日本文学史だけれど。以上。(2010/09/17)

桜庭一樹著『赤朽葉家の伝説』創元推理文庫、2010.09(2006)

著者の最高傑作と目される作品の、満を持しての文庫化。記念すべき第60回日本推理作家協会賞を受賞し、各方面で絶賛された作品だけれど、確かに素晴らしい。以下、その概略を。
本書は鳥取県の旧家である赤朽葉(あかくちば)家の女性三代にわたる大河ドラマとなっている。物語は三部構成。それぞれの主役はそれぞれ祖母・万葉(まんよう)、母・毛毬(けまり)、私・瞳子(とうこ)。時代としては第一部が1950-70年代、第二部が80-90年代、第三部が2000年以降という区分を持っている。
第一部は山の民が捨てていった千里眼を持つ祖母・万葉(まんよう)が若い夫婦に拾われ、やがて製鉄業を生業とする赤朽葉家に嫁ぐところから始まる。彼女が幻視した未来のヴィジョンが、続く二代の物語にも影を落とすこととなる。第二部では万葉の子・毛毬(けまり)の不良少女時代、そして漫画家への転身とその成功に至る道のりが描かれる。
第三部はこの小説全体の語り手である私の物語。千里眼でも漫画家でもない普通の女子である瞳子が、山陰の製鉄業が衰えそれとともに傾いていく赤朽葉家の終焉を見据えつつ、祖母が遺した言葉の謎を解き明かそうとする、というお話になっている。
全体小説を指向し、そしてまた本格ミステリとしての体裁をも体現する。著者によるあとがきには本書を書くに当たってインスパイアされたとおぼしき作家や書物が並べてあるのだが、ジーン・ウルフ、ガルシア・マルケス、ヴァージニア・ウルフ、有吉佐和子etc.。なるほどなぁ、である。
山の民を巡るフォークロアであるとか、それとも関わりの深い山陰地方の製鉄業=たたら製鉄というのが物語の通奏をなして全体をしっかりと支える。そこをベースとして繰り広げられる、コミカルな筆致を持つ万葉の上昇婚物語である第一部、1980年代へのオマージュとも言うべき実にぶっとんだ第二部、そしてこの作者が最も得意としてきた青春ミステリの第三部のどれもが素晴らしい。色々な意味で、金字塔的な作品だと思う。以上。(2010/10/04)

米澤穂信著『インシテミル』文春文庫、2010.06(2007)

間もなく中田秀夫が監督した映画が封切られる米澤穂信による現時点での代表作とされる書の文庫版。この映画、実はキャスティングやプロモーションその他にかなり力が入っていて、前者で言えば藤原竜也、綾瀬はるか、石原さとみ、更には、武田真治、北大路欣也、片平なぎさなどなどが出演。『リング』や『DEATH NOTE』とその関連作品のようなヒットになるか、ちょっと注目している。
単純にそんな超大作の原作、と考えてしまうには余りにも勿体ない作品なのだけれど、取り敢えずは概略については凝りに凝った映画の公式サイトを見て頂いた方が早いかも知れない。でも、若干設定は変わっている。なので小説版の方の概略を。
舞台は主催者により「暗鬼館」と名付けられた密閉空間。ここに集められたのは時給112,000円(誤植じゃないっス。)×7日間の「人文科学実験アルバイト」に応募し選ばれた12名。集まって、そして閉じ込められてようやく教えられたその実験の内容とは、人を殺せば殺すほど、そして真相を解き明かせば解き明かすほど報酬がアップするという殺人+犯人当てゲームだった、というお話。
下敷きにしているのは勿論、『そして誰もいなくなった』や『バトルロワイアル』、あるいは『クリムゾンの迷宮』や『DEATH NOTE』といった作品群。その他古典ミステリへの言及も物語構成上の重要な要素としてちりばめられ、クローズド・サークルものにして、ある意味でメタ・ミステリ的テイストも含むという野心的な作品になっている。例えば歌野晶午のあの作品のように、何らかの形での続編が書かれるのか、非常に興味深いところである。以上。(2010/10/05)

伊坂幸太郎著『陽気なギャングの日常と襲撃』祥伝社文庫、2009.09(2006)

映画にもなった傑作『陽気なギャングが地球を回す』の続編。『小説NON』に掲載された、4人組の強盗各人がそれぞれ出会う事件を描く一応各話完結の短編4本を第一章とし(ここまでで本の半分くらい)、第二章以降ではそれぞれの事件と微妙に関わりを持つ社長令嬢誘拐事件とその顛末を描いている。文庫版オリジナルのボーナス・トラックも入ったある意味てんこ盛りな1冊である。
確かに面白い。最初の4本を書いているときに後半まで考えていたのか、あるいはそこまでは考えてなくて単にスピンオフ的なものを作り始めたんだけどこの作家の業というか大きな物語を構想し始めてしまい、各編の雑誌掲載後に加筆しまくったのかは良く分からないし別に確認したいとも思わないのだが、その緻密かつ大胆な構成力というか、構想力には圧倒されるばかり。
個々人が特殊な能力を持つなんかイイ感じの強盗4人が繰り広げる活劇、という素晴らしいアイディア、そして4人のキャラ立ちの良さで支持されたのだと思われる前作の、伊坂幸太郎としては非常に珍しい続編になるわけだけれど、それでもやはり伊坂は伊坂だな、という中身を持っていてその辺りが非常に感動的ですらある。シリーズ化してしまえば比較的軽い努力で莫大な印税が、などと考えてしまうのは私が俗物だからなのだろう。以上。(2010/10/17)

道尾秀介著『ラットマン』光文社文庫、2010.07(2008)

人気作家・道尾秀介による、十二支シリーズに含まれる長編の文庫版である。解説は大沢在昌。大沢によると、道尾作品の中で最も好き、ということになるのだそうだ。真に優れた作家がそこまで言うくらいに優れた作品、ということである。以下そんな優れた作品の概略を。
高校時代から14年間続いてきたアマチュアのロックバンドSundownerのメンバが主な登場人物。主人公であるギタリストの姫川亮は、幼い頃に姉と父を続けて失うという暗くて重い過去を持つ青年。バンドの元ドラマーであるその恋人・小野木ひかりとの関係がギクシャクする中、練習中のスタジオで奇妙な事件が起こる。その真相とは、そしてまた、姉の死にまつわる真実とは何か。様々な事実が明らかになるとき、亮はそこに何を見いだすのか、というお話。
暗澹とした作風はこの人ならでは。母との関係、姉との関係、父との関係、等々、デビュウ以来のモティーフがここにも現われて、変奏を奏でている。小道具の使い方が相変わらず絶妙で、それはタイトルにもなっている「ラットマン」であるとか、Sundownerのレパートリであるエアロスミスであったり、あるいはまたカマキリであったりハンプティ・ダンプティであったりする。兎にも角にも、読者の予想を裏切り続ける展開の妙と、読むもの全ての心を打つであろうラストには圧倒された次第である。以上。(2010/11/03)

誉田哲也著『月光』徳間文庫、2009.03(2006)

警察小説・青春小説で圧倒的な支持を得るに至っている極めて優れたエンターテインメント小説作家・誉田哲也による、青春小説のテイストも含み持つさりとて全体としてはかなり陰惨な印象を受ける犯罪小説である。
本書は、複雑な時間構造を持つ群像劇、という形式を持つ。基本的には、同級生男子の乗るバイクに轢かれて死んだとされる美しい少女・涼子、その死因に疑問を持つ妹・結花、そしてまた涼子が通う高校の音楽教師・羽田、また涼子を轢いたとされる同級生・菅井、という4名の視点で物語は紡がれる。事件の背後には一体何があるのか、そしてまた、罪とは、赦しとは、償いとは、といったテーマ群が、「月光」の重い調べを通奏として掘り下げられていくことになる。
その警察小説群の中でもかなり陰惨な事件を多々描いている誉田哲也だけれど、この作品においてはほぼそこに焦点が当てられていると言っても過言ではない。こういうものが苦手な方も多いと思うのでここに注意を喚起しておきたい。
それは置くとして、これまでの作品でも見せてきた多重語り、そして少女語りのテクニックはここでも健在で、この作家が誠に優れたストーリィ・テラーであることを再認識した次第である。序盤から救いようもないほど陰惨極まりなくて投げ出したくなるかも知れないが、読み始めたら是非最後まで読み通して欲しい。その落としどころはさすが、としか言いようのないものなのである。
蛇足ながら、この作品における謎解き役は基本的に結花なのだが、この猪突猛進的なところもある少女、実のところとても不安定で、しかも弱い。彼女が将来婦警か何かになって、なんて展開もありかも知れないのだが、そんなことにもちょっと期待してみたい。以上。(2010/11/04)

歌野晶午著『ハッピーエンドにさよならを』角川文庫、2010.09(2007)

今や日本のミステリ界を支える存在となるに至った歌野晶午による、タイトルの通りアンチ・ハッピーエンドな作品ばかりを集めた作品集。2007年に単行本として刊行されているが、基本的に『野生時代』や『すばる』に掲載されたものが多い。発表年は1998年から2007年。なので、ほとんどの作品がこの人のいわば「第二期」、とでもいうような時期に書かれていて、そのひねり具合には非常に素晴らしいものがある。
個人的には、冒頭の作品「おねえちゃん」であるとか、真ん中辺に収録されている「防疫」あたりがこの人の真骨頂かな、と思う。短編はアイディア勝負なのでどの作品についてもさして詳しいことは書けないのだが、お受験や高校野球、あるいはホームレス等々といった身近なテーマを取り上げつつ、読者の意表を突き、度肝を抜き続ける卓越したテクニックには驚嘆する他はない。数々の傑作群の影にあってやや地味な作品集だが、そのクォリティの高さはさすがにこの作家のものなのである。以上。(2010/11/11)

森博嗣著『イナイ×イナイ PEEKABOO』講談社文庫、2010.09(2007)

Gシリーズをスローペースで発表している森博嗣が、その途中で始めたXシリーズの第1冊目。これまでのシリーズとどう関わるのかは非常に興味深いところだが、本書におけるそうした作品群との関連を仄めかす記述はごくわずかなものである。巻が進むにつれ、そしてまたGシリーズが書き進められるにつれ、その辺りのところは徐々に見えてくるのだろう、と一応考えておきたい。
美術鑑定を生業とする椙田(すぎた)泰男が経営する事務所に勤める小川令子と真鍋瞬市、そして鷹知祐一朗という名の探偵が謎解き役。椙田不在の中、都会の中心にある旧家に住む美しき双子の一人・佐竹千鶴の依頼を受け、その屋敷の地下牢に閉じ込められているという兄の探索を始めた二人だが、彼らを待ち受けていたのは不可解な殺人とおぼしき事件であった。兄の消息は、そしてまた事件の真相とは。小川・真鍋の名コンビによる真相究明が始まるが…、というお話。
古典的なモティーフ群をちりばめつつ、きちんとした謎と謎解きが存在する骨格のしっかりした本格ミステリ作品として仕上げられた、森博嗣としては新境地なのではないかとも思う作品になっている。実のところどんでん返しがもう一枚欲しいかな、とも思ったのだが、本書で描かれている事件よりも重要なことが巻末近くで起こったりして、そんな感想は吹き飛んだのであった。でも、落ち着いて考えれば、何度も述べてきたように小説である以上はやはり閉じた一つの作品としての完成度も大事だと思うのだが…。以上。(2010/11/12)

吉田修一著『悪人 上・下』朝日文庫、2009.11(2007)

もう冬も近いのだが、取り敢えずこの秋の文庫紹介は最後。と言って、この本、出たのはちょうど1年前、である。元々は『朝日新聞』夕刊に連載され、2007年に単行本として刊行。第34回大佛次郎賞と第61回毎日出版文化賞を受賞し、この2010年に妻夫木聡+深津絵里主演による映画が公開という、ベストセラーにして超話題作、ということになる。過去形だし、どれくらい売れたのか、はたまた興収上げたのかは知らないのだが。
物語の舞台は長崎県出身であるこの作家の基本テリトリーなのだろう九州北西部。ああ、ついでに言うとこの作品の時節は12月から1月くらいの期間である。こたつで読むには良い本かも。それは兎も角、私にとって九州北西部と言えば青山真治なのだが、何だか読み進めていくとそれっぽい話じゃないか、うーん、…、えっ?!、であった。
まあそれも良いのだけれど、取り敢えず物語は、主人公の土木作業員・清水祐一が、出会い系サイトで知り合った若い女性を殺してしまったらしい、というプロットで始まる。でも何だか事情がはっきりしない。捜査が進む中、祐一は出会い系サイトで知り合ったもう一人の女性・馬込光代と親密な関係になり、やがて二人の逃避行が始まる。ホントに殺したのか、何故殺したのか、そしてまた、二人の行く手には何が、というお話。
徹頭徹尾、ああ、これどっかで聴いたような、うーん、これどっかで読んだぞ、という感じのお話なのだけれど、青山真治の諸作品に加え、例えばJ.L.ゴダールの名作『気狂いピエロ』なんてものを彷彿とさせるところがあったりもする。ああ、でもそういう人たちの作品に比べると、圧倒的にスタイリッシュではないし洗練されてもいない。そうそう、「イマドキこんなベタなメロドラマあり?」と思ったのは私だけではないはず。別段時代に逆らって、というようなことを意図しているようにも思われない、どう読んでも非常に古風な感じのメロドラマにしか読めないのである。映画だと、きっと樹木希林と柄本明が良い味出してるんだろうな、助演賞ノミネートなんだろうな、などと思いつつ読了した。以上。(2010/11/29)