テリー・ギリアム監督作品 『ローズ・イン・タイドランド』
奇才テリー・ギリアム(Terry Gilliam)監督による最新の劇場版長編映画で、原題はTIDELAND。直訳すれば『干潟』となるこの映画、CANADA/UK資本による全くハリウッド的娯楽映画とはかけ離れた作品で、逆に言えば実にこの監督らしい作品とも言える。公式サイトに掲載されている上映スケジュールを見ると、先月フランスとベルギーでいち早く公開され、その後今月に入ってポーランド、日本と続いていることが分かるのだが、UKは8月、US&CANADAに至っては10月に公開、と出資者の国がやけに遅いのがとても気になる。まあ、この業界は複雑怪奇なので、色々なことが絡んでいるんだろう。
さて、映画としては既に紹介したこの映画と同時並行的に撮っていたようにも思うThe Brothers Grimmのような娯楽大作とは一線を画した、1998年制作のFear and Loathing in Las Vegasの路線を一部継承する作品となっている。「ヤク中」の父とともに祖父母が暮らした土地に戻った少女(ジェリザ・ローズ=Jeliza-Rose。天才子役ジョデル・フェルランド=Jodelle Ferlandが演じている。この映画、実は彼女のために作られたんじゃないか、という気さえする。)が出会う奇妙な人々と事件が描かれることになるのだが、それらがあくまでもこの少女の視点から描かれるところに重大な意味があって、そこには異様なまでの「切なさ」さえ存在する。
それは要するにこの主人公の少女が、両親が揃ってヤク中であり生活破綻者であったことから「この世界についての一般的な認識」のうちのとても重要な部分を欠落してしまっていることにある。そんな中、『不思議の国のアリス』の熱心な読者である同年代の友達を欠く基本的に孤独な彼女は、ヴィニール人形(バービィ人形とかそういうやつです。)の頭部4個に名前を付けて人格を吹き込み、それらと対話し、ともに行動していて、これがその日常となっているといった具合なのでその世界はどんどん内へ内へ向かうものになっていくことにもなる。そしてまた、唯一の近隣者である片目を失った女性と、どうやらてんかん治療のため脳の一部を切除した彼女の息子だか弟と覚しき青年との交流もまた、彼ら自体がおよそ一般性を持たない人物達であるがために、少なくともこの映画内時間においては彼女に「この世界についての一般的な認識」を共有させるには至らない。
さてさて、一筋縄ではいかない、そしてまたかくのごとく何とも「切ない」この映画、個人的には「中身が空っぽになること」あるいは「中身が空っぽなもの」について描いた映画、という風に観た。ドラッグによって魂が抜けること、家を出ること、ウサギが巣穴からいなくなること、あるいは映画の中途やラストに起きるとある事件等々は、概ね「中身が空っぽになること」という風に抽象化できる。「中身が空っぽなもの」について言えば、上の段落で触れたものやら、大量に登場する「剥製」やらを挙げることが可能である。こういう、「中空なもの」へのこだわりというのは間違いなく意図的なもので、かといってそれが何のためのものなのかを今ひとつ計りかねているのだが、そういうモティーフを大量に動員したこの映画自体は、実に中身の濃いものなのである、ということを述べておこう。以上。(2006/07/10)